[ABOUT]
「アングロ・アメリカ」スタイルのパイオニアブランドPaul Stuart。
伝統あるイギリスのスーツカルチャーをアメリカの観点から提案し、“流行に流されないスタイル・そこにある確固たるエレガンス”をモットーにブランディング。
お客様へ提供するのは、「ルックではなく、揺るぎない自信を」というPaul Stuart流の接客スタイルが、80年もの間ニューヨークの一等地マディソン街にショップを構える所以です。
日本にも多く店舗展開するPaul Stuart。しかし、フラッグシップであるマディソンアベニュー店とのみビジネスをスタートさせた理由。そこにどのようなストーリーがあったのか、CEO・草ヶ谷昌彦へインタビューしました。
INTERVIEW
#003
Paul Stuart
何度も足を運んだ意味
━ Paul StuartとBROOKLYN MUSEUMの出会いは?
Paul Stuart 二代目社長であるクリフォード・グロッド氏とBROOKLYN MUSEUM創業者が30年ほどの知り合いだったんです。
そう言うと“すごいコネクションでもあったのか”とイメージされると思いますが、もっと地道なものです。
BROOKLYN を25歳で立ち上げた創業者は、何度もNYへ訪れては、クライアントを開拓していました。今ほど携帯やメールも整っていない状況で、現地へ足を運ぶことが一番確実な方法だったんです。
ただただファッションが好きで、つたない英語を話す若い日本人が毎年のようにアポイントを取ってくる─。余程の熱量ですし、面白いと感じていただけたんだと思います。
Paul Stuartはもともとアイビーリーガーに向けたセレクトショップを経営していて、創業者もアイビールックから大きな影響を受けていました。そういったルーツも含め、素晴らしいチャンスに恵まれ、スタートさせていただきました。
━ なぜPaul Stuartへアタックし続けたんですか?
「一流だから。」
とてもシンプルです。
創業者から聞いた話になってしまいますが、当時Paul Stuartの服作りは“スーツといえばサヴィル・ロウ”という概念を変え、体のラインに添うナチュラルな肩まわりのフィット感が斬新だったそうです。
瞬く間にケネディ元大統領やフランクシナトラなど多くの著名人が愛用するように。憧れのブランドだったそう。
そして、フラッグシップショップの貫禄がすごいんです。
ちょっとしたデパート並の広さに、ラグジュアリーで余裕のある空間。そこで誇らしげに働くスタッフたち。楽しそうに馴染みのスタッフと会話をし、颯爽とNYの街へ出かけていくお客様。
すべてが一流なんです。
お客様に合わせて朝7時から営業するショップなんて、世界的にも珍しいですよね。
━ 朝7時ですか?!
すごいですよね。今はこういった状況もあって変わってしまいましたが、出勤前のビジネスエリートたちがコーヒー片手に今日のネクタイを選んでいくんですよ。
店側に合わせて来てくださいね、というより、カスタマーリサーチが徹底されているからこそ、ハイエンドカスタマーのライフスタイルに合わせて営業します、というスタンスなんですよね。その分、クローズも早いですけどね。みんなディナーに出かけてしまいますし。
営業時間ひとつとってもお客様主体。
それは扱っているスーツや小物に対してもそうです。当然ですが、よりストイックになります。
「ルックではなく、自信を提供する」
そんなブランドだからこそ、扱ってもらうことに意義がありました。
製品としての信頼
━ クオリティはもちろん、信念を持ってブランディングされていることがわかりますよね。アイテムはどういったものを扱っていただいていたんですか?
財布やカードケースなどの革小物をメインで扱っていただいていました。ダレスバッグなども作らせていただく機会もありました。
彼らは基本的に自分たちのネームでビジネスをするんです。素材やファクトリーネームに頼らず、Paul Stuartというストアブランドで勝負する。
マンハッタンのエグゼクティブたちから絶対的な信頼を得ていたのは、利益以上にクオリティを優先させていたからだと思います。
驚くことに、スーツはKiton(キートン)にOEMを依頼していると聞きました。
Kitonとは、イタリア・ナポリを代表する世界的なテーラードブランドで、素材や縫製技術が「世界で最も美しい服」と称賛されています。1着仕立てるにも150人もの職人が20時間をかけるという丁寧な手仕事が有名ですが、その超一流ブランドへOEMを依頼するというだけでも、本気度が伝わってきますよ。
━ そこへBROOKLYN MUSEUMも並んだ、ということですね。特に意識して取り組んだことなどはありましたか?
Paul Stuartの目の肥えたハイエンドカスタマーに、欲しいと思っていただけるものづくりを追求しました。
Kitonがスーツ一着に20時間かけるように、私たちのものづくりにも多くの手間と時間が費やされています。
大量生産ができない分、素材・デザイン・カラー全てのクオリティが高く、永く愛されるモノでなければ店頭に出すことはできないですから。
このポリシーが言葉だけでなく、製品としても伝わり、信頼していただいた結果、リピートオーダーにつながったと感じています。
プロダクトの力を伝えていく
━ 素材はどのようなものが好まれましたか?
やはりアメリカにはない素材が多かったですね。柿渋染めや藍染め、オリジナルレザーのヤマト、そしてグロスコードバン。あらゆる素材を扱っていただきました。
その中でも特に柿渋染めはリピート率が高かったです。
大きな牛革へ、一枚一枚刷毛で染色していく柿渋染め。
古くからの技術と知恵、日本人の繊細な手仕事なくしては仕上がらないことがプロダクトから感じられるそうです。
エイジングも含めてファンになってくださり、コレクションしてくださる方もいらっしゃると伺いました。
2年前までは技術継承が危ぶまれていた柿渋染め。
素晴らしいタンナーさんとの出会いによって、次世代へ繋ぐことができました。これはただの偶然ではなく、「この技術を無くしてはいけない」という私たちの強い想いをキャッチし、実現させるスキルを持つタンナーさんが居たからこそ。
国境を超え愛されるアイテムひとつずつ、ストーリーがあるんですよね。私は、こういったストーリーを持つプロダクトにはパワーがあると思っているんです。
Paul Stuartが徹底する「ルックではなく、自信を提供する」というスタイルは、“革のチカラ”“色のチカラ”を伝えてきた私たちのクラフトマンシップにも通じ、忘れてはならないスピリットだと感じさせてくれます。
大量生産には無い手仕事の魅力を発信していくこと。
お客様にパワーあるプロダクトを手にしていただき、少しでも日々が豊かになるものづくりを続けていくこと。
いつか情勢が落ち着いた頃にまたマンハッタンを訪れ、そんな話ができたら嬉しいですね。