[ABOUT]
言わずと知れた世界的ブランドRalph Lauren。
ファッションにとどまらず、ホームコレクションやレストラン、リゾートホテル展開など、グローバルスケールでワンランク上のライフスタイルを提案し続けています。
アジアの旗艦店となる〈Ralph Lauren 表参道〉は、その世界観をフルに楽しめるスペース。アメリカントラッドを代表するRalph Laurenと、アメリカントラッドからプロダクトへの影響も受けるBROOKLYN MUSEUM。
そこにどのようなストーリーがあったのか、CEO・草ヶ谷昌彦へインタビューしました。
INTERVIEW
#002
Ralph Lauren
その日は突然に
━ Ralph LaurenとBROOKLYN MUSEUMの出会いは?
2011年のある日、ラルフローレン・ジャパンの方がふらっと店舗へいらっしゃって、突然。
「ショップで使う備品をレザーで作ってくれませんか?」
というお話をいただいたのがきっかけでした。
━ 担当者の方がユーザー様だったんですか?
それが違うんですよ。
その方は、ラルフローレン表参道のインテリアデザインを担当されている方だったんですが、その前にお勤めだった企業様の頃からBROOKLYN MUSEUMをご存知だったそうなんです。
私たちが直営店を出店する前は、BEAMSさんやSHIPSさん、ブルックスブラザーズさんなどのものづくりに携わらせていただいていたので、業界のツテみたいなものもあったのかもしれません。
OEMも受けていた、という記憶を頼りに調べてくださりご来店。
とても有難いことです。
━ ショップの備品とは、どのようなものをご希望だったんですか?
カルトンや、サインボードがメインでしたが、一番驚いたのはカーペットのヘリにレザーを巻くとおっしゃったこと。
会計時に使うカルトンやサインボードについては、私たちの店舗や他ブランド様にも製作しているアイテムなので全く問題なかったのですが、カーペットとなると最初は想像がつかなかったんですよ。
それも、表参道の店舗はフロア面積も広いので、カーペット1枚とってもかなりの大きさです。
私たちのミシンで縫える範囲であれば・・・とイメージを膨らませていたら、
「インドから絨毯職人を呼ぶので、レザーだけ手配していただけませんか?」
なんと、BROOKLYN MUSEUMセレクトのレザーを短冊状に裁断し、インドから呼び寄せた数名の絨毯職人の方に表参道店で直接縫い付けてもらうというんです。
まさかとは思いましたが、もはや芸術の域。
その力の入れように、感動すら覚えました。
徹底したクオリティコントロール
━ そんな細部にもこだわり抜いているなんて、すごいですね。そこから取り組みをスタートさせたということですか?
「アメリカ本国で使っているレザーと同じクオリティにこだわりたい」
というオーダーをいただいたので、同クオリティのレザー提案を行わせていただきました。
創業者も私自身もラルフローレンは大好きでしたから、彼らのバックグラウンドはよく知っています。そして、担当者の方の熱意も十分感じていました。
「たとえ備品であってもこだわりたい」
その想いに応えるため、ピックアップしたレザーはイタリア製〈ブライドルレザー〉。
馬具に使われるほど強く丈夫な革で、革自体を引き締めるために何度もロウを塗り込む技法が特徴です。何百年も前から受け継がれる歴史あるレザーですし、なにより耐久性に優れている点、雨や水を弾くので、多くのお客様が来店される店舗にはベスト。
備品に使うにはあまりに贅沢ですが、そこは世界のラルフローレン。徹底してクオリティコントロールを行っていらっしゃいました。
━ モノとしてのクオリティリクエストも必然と高くなりますよね?
そうですね、ただその点については「うちに任せてほしい」とお伝えしました。ブライドルのようなハリがあってハードな革を得意とする職人さんと話し合い、芯材の入れ方や縫い合わせ方を調整して。そういった姿勢を買っていただいたのか、仕上がったサンプルに大きな修正はありませんでした。
そうして、まずは表参道店からスタート。
当時は併設して〈RUGBY〉という若い世代へ向けたセカンドラインの店舗もあったため、そちら用でも色違いのオーダーをいただくことに。
自分が憧れていたブランドに、自分の手がけたプロダクトが並ぶ─。たとえ備品であっても、嬉しかったですね。
アジアの直営店へ
━ そこからどのようにアジアへ広がっていったんですか?
たまたま直営店視察に来日していたシニアマネージャーが、カルトンやサインボードを見て、
「アジアのフラッグシップでも使いたい」
とおっしゃってくださったんです。
香港をはじめ、マカオ・シンガポール・マレーシアと、アジアの直営店からオーダーをいただくようになりました。
さすがにアメリカ本国やヨーロッパは昔からのサプライヤーが入っているようでしたが、なかなか小ロットでクオリティの高いものを作れるところがなかった、という話を後々伺いました。
これまでの他社様との取り組みや、私たちがこだわり続け、高めてきた技術が結果となった瞬間だったと思います。