“運命の鞄”との出会いを経験する中、こんな感情が生まれ始めました。
「日本のファッション業界に自由な風を吹き込みたい。」
意を決し、27歳で会社を設立。
「アメリカの開拓精神を日本にも」という想いが強かった和久は、会社名にもその想いを投影する名前を考えていました。
ニューヨークの中でも駆け出しのデザイナーやアーティストが多く住んでいたブルックリンの地名をとり、「株式会社ブルックリン」が生まれました。
立ち上げ当初は、ファッション製品の問屋としてスタート。
やがて自社ブランドを展開し、ソックスをはじめとする小物の企画・生産行い、ネクタイや革ベルトなど、服飾雑貨全般を取り扱うまでになりました。