“運命の鞄”との出会いを経験する中、こんな感情が生まれ始めました。

 

 

「日本のファッション業界に自由な風を吹き込みたい。」

 

 

意を決し、27歳で会社を設立。

 

「アメリカの開拓精神を日本にも」という想いが強かった和久は、会社名にもその想いを投影する名前を考えていました。
ニューヨークの中でも駆け出しのデザイナーやアーティストが多く住んでいたブルックリンの地名をとり、「株式会社ブルックリン」が生まれました。

立ち上げ当初は、ファッション製品の問屋としてスタート。
やがて自社ブランドを展開し、ソックスをはじめとする小物の企画・生産行い、ネクタイや革ベルトなど、服飾雑貨全般を取り扱うまでになりました。

「大人の使うモノに“上質さ”は欠かせない。」

質へのこだわりが
人一倍強かった和久は、ソックスは糸の繊維から、ベルトや小物類は革へと仕上がる原皮から、世界中のありとあらゆる素材を厳選し、ものづくりを始めていきました。

全てはゼロからの厳しい創業でしたが、好きなことを、欲しいものを、存分に創り上げていく喜びが原動力となり、寝る間も惜しんで仕事に励みました。


時に、腕のよい職人を探しに、日本各地へ。
時に、ものづくりを学ぶために、イタリアへ。
時に、ビジネスを学ぶために、アメリカへ。


当時、訪れる国々で様々なことを学んでいく中、アートとの触れ合いが心を癒し、中でもアンディウォーホルのカラフルでグラフィカルな世界に惹かれていきました。

普段、何気なく見ているものを、アッと言わせる。
心が躍るようなカラークリエーションで、見るものにエネルギーを与えてくれる。

アンディウォーホルのカラーイリュージョンに感銘を受け、次々とコレクションするようになり、「ポップアートイズム」に魅了されていきました

そんな中、ある疑問を抱きました。

「海外では、様々な『色』を目にし、個性の豊さを感じてきたが、なぜ日本ではあまり色を見ないんだ・・・」

当時、日本で目にするファッション小物はモノトーンが多く、特に革製品は黒や茶ばかり。
これまで当たり前に感じていたものに、“何かが違う”と、来る日も来る日も自問自答し続けました。
そんなある日、身体中に稲妻が走ったような衝撃と共に、こう思ったのです。


「そうだ!日本人はアートのように、もっと色を楽しむべきだ!
好きな色を持ち歩くだけで、前向きな気持ちになれる。
前向きな気持ちになることで、その日の行動が変わる。
行動が変われば、人生が変わる──
持ちものひとつで人格が形成されていくこの感覚は、あの運命の鞄と出会った時のような、素晴らしい体験になる!」

カラフルなものを持つことで、「稚拙にみえる」と懸念されがちだった当時の日本。

「粗悪品であれば、稚拙に映るかもしれないが、質の良いものであれば、堂々とした気持ちで“上質さと色”を楽しむ事ができるはずだ!」

和久はそう確信しました。


エネルギーに満ち溢れた色で、大人が本気で遊ぶ。
“本気の遊び”に相応しい、選び抜かれた上質な素材で自分を表現する。
その“表現”は、必ず人生をより豊かなものにしてくれる。

ブルックリンミュージアムの独創的な“カラーイリュージョン”はこうして誕生したのです。

第四章

「メーカーからの転身。直営店への想い。」