家を出た和久は仕事を探し始めます。

 

“洋服の文化や歴史をより深く学びたい”という強い想いから、ファッションに関わる様々な会社を訪ねて歩きました。

門前払いされる会社もある中、ソックスやベルトなどのファッション小物を取扱う小さなアパレル会社で働き始めるのです。

 

入社後、すぐに営業職についた和久。

 

朝から晩まで、社長に同行する日々が続きました。

見るモノ全てが初めて。

胸が高鳴り、大切なことを手帳へ書き留めては、見様見真似で学んでいきました。

 

小さな会社ではありましたが、たくさんのことを惜しげもなく教えてくれる社長のその姿に、温かい気持と共に沸々と湧いてくる働くことへの情熱。

「仕事」というものをより深く感じ、ファッションへの熱は日に日に加速していきました。

そんな気持ちとは裏腹に、結果が出ない日々。
“これほど熱意を伝えているのに、なぜなんだ・・・”
初めて感じた挫折でした。


ある日の夜。
和久を間近で見ていた社長は、営業先から帰るなり、こう言ったのです。

「持ち物“ひとつ”で人生は変わるよ。」

突然の言葉に、戸惑いを隠せなかった和久。
社長は、その場で鞄を手渡しました。

それは上質なトランクケース。

当時はパソコンがまだ普及していない時代。
書類やペンケース、メジャー、サンプルなど、営業先で必要な小道具を素早く取り出せ、すぐにプレゼンテーションできる構造になっていました。
さらに、簡単な着替えや出張アイテムなどもしっかり収納でき、幅広くビジネスシーンをカバーできる鞄だということが理解できました。

社長が差し出したそのトランクケースは、当時の価格で15万円。
入社間もない和久の給料は、2万8千円。

家を出たばかりの生活は苦しく、到底手にできない品物を目の前に困惑しました。

「持ち物ひとつで人生が変わるなんて、そんな大袈裟な事ありえるものか。」

さらに社長はこう言うのです。

「身銭を切ったものにこそ、学びがある。その学びの中に“信念”を見つけ出すことができるんだよ」

 

探究心の強かった和久は、その学びとはなんなのか、率直に知りたいと思いました。

そして、「色々なことを教えてくれる社長の想いを邪険に扱う事はできない」。

その強い想いから、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、給料の約7倍もの鞄を月賦で手に入れたのです。

その鞄を使い始めてから1年後。
営業の結果が少しずつ伸びてきたのを実感していました。

“良いもの”をひとつ身につけたことで、
この鞄に合うジャケットは。
この鞄に合うベルトは。
この鞄に合う靴は。
この鞄に合う時計は。

良いものをひとつ身につけることで、そのものを中心に、他のものにも気を配るようになった和久。
一つ一つ、ものの背景を調べることで生まれる「学び」。
学ぶことの喜びと、コーディネートを楽しむその連鎖に、魅了されていきました。

「なるほど、そういうことか。」

このトランクケースは、使う人をきちんと想定している。

誰が。

どこで。

何のために。

 

それらの目的に必要なデザインを考え抜き、生み出されているのだと。

今まで自分に足りなかったこと。

単にデザインがカッコいい、流行っているから、という目線でものをみていたんだと気がつき、和久は、「もの作り」の核心に少し触れたような気がしました。

もの作りには「背景」がある──

そして、背景に応じた「原理原則」があるのだ、と。

1年前は、社長の言葉に疑問を感じていた和久でしたが、その考えは180度変わりました。
“持ち物ひとつで人生が変わる”
その感覚は、まるで、人格が形成されていくような感覚でした。

豊かさをもたらせてくれた
ひとつの鞄との出会い。

それは“運命”の出会いだったのです。

第三章

日本に新しい風を。」