BROOKLYN MUSEUM 創業者、草ヶ谷和久。
昭和26年神田生まれ。

クラスには必ず職人の家の子が何人かいるような下町で育ち、和久の叔父もまた鞄職人のひとりでした。
ものづくりに真摯に向き合う光景を間近でみて育ったことは、のちの和久に大きな影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。

戦後流れ込んできた豊かなアメリカの文化が次々と上陸することを肌で感じ、時代が成長していく面白さに触れた世代。
テレビはモノクロからカラーへ。
音楽はフォークソングやエレキギターのサウンドへ。世界的にビートルズ旋風が巻き起こり、それは日本へも多大な影響を与えていました。

何万人もの若者を熱狂させるグループ。和久にとってもカルチャーショック以外の何者でもなく、ギターサウンドを聴かない日はないほど、夢中になっていきました。

聴き込むほどに、ベンチャーズやビーチボーイズ、さらにはエルビスプレスリーなど、偉大なサウンドがアメリカから渡ってきていることを知りました。


アメリカの文化に憧れはじめた和久は、洋服の文化にも興味を持ち始め、その中でも「アイビーファッション」に衝撃を受けたのです。

アイビーリーガーたちのファッションは日本の若者たちを惹きつけ、独自のカルチャーを作り上げていきました。その頃、日本では〈VAN〉が大流行。銀座を行き交う人々が、小脇にVANの紙袋を抱えて闊歩していました。

紺のブレザーやローファー、ボタンダウンシャツにバミューダパンツ。

紛れもなく、和久のスタイリングを形成したのは、当時アメリカの学生たちの「文化」だったのです。

様々なファッションを知り、センスを磨いていくうちに、洋服の文化を深く考えるようになっていきました。

「洋服とは何だ?」

「TPOとは何だ?」

「何のために人は着飾るのか?」



当時はパソコンもない時代。
本や雑誌を読みあさっては、知り得た情報を元にお店へ足を運ぶ。そこで好きなモノを手にする喜び、と同時に、和久にはもうひとつの楽しみがありました。

それは、〈ノベルティ〉です。
ノベルティ欲しさに買物をするなど、気づけばノベルティ集めにも凝り始め、並べたノベルティを眺め、こう思うのです。

「心が躍るこの感覚は、“遊び心”というものなのだろうか。」

好奇心旺盛だった和久は心の赴くまま、ファッションカルチャー遊び心の探求を重ねていきました。

当時、和久の父・正雄は飲食店を営んでいました。

後を継ぐことを望んだ父。

「ファッションの世界へ飛び込みたい」と想いが日に日に強くなる和久。

 

何度話しあっても、折り合いはつきません。

次第に親子の間に溝ができ、その溝は日に日に深くなる一方でした。

 

葛藤に苦しんだ和久は、家を出る決意をしたのです。

それは、18歳の時。

雪の降る日でした。

第二章

「全ては1つの鞄から始まった。」